ハットゥシャ

Boğazkale district · TR

ヒッタイト帝国の失われし都、 アナトリア高原に眠る紀元前14世紀の青銅器世界最大級首都遺跡

トルコ中央部チョルム県ボアズカレ近郊、 標高1000メートルの丘陵に広がるハットゥシャは、 紀元前17世紀から紀元前13世紀まで栄えたヒッタイト帝国の首都遺跡。 ライオン門・スフィンクス門・大神殿を擁する6キロの城壁都市で、 1986年ユネスコ世界文化遺産登録の青銅器時代研究の世界的中心地である。

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

気温15-22度で快適、 アナトリア高原の野花が遺跡周辺に咲き乱れ、 写真撮影と徒歩散策に最適な観光最盛期

★★★★★

6月-8月

気温25-32度で日中は強い日射、 早朝7時開門到着で午前中見学が必須、 帽子と水分必須

★★★☆☆

9月-10月

気温15-25度で快適、 高原の紅葉と澄んだ空気で遺跡撮影に最適、 観光客も春より少なく穴場の季節

★★★★★

11月-3月

気温-5から10度で降雪あり、 城壁が雪化粧する神秘的風景は撮影上級者向け、 道路凍結注意

★★☆☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.ライオン門 (高さ2メートル超の獅子像)

    西側城壁に位置するライオン門は、 高さ2メートルを超える獅子像が左右に対面で配される紀元前14世紀の都市門。 シュッピルリウマ1世時代の建造で、 ヒッタイト彫刻芸術の代表作として現地保存され、 観光ルートの始点となる必見スポットである。

    門を正面から撮影、 左右の獅子像が両方写る構図、 午前の斜光

  • 2.スフィンクス門とイェルカプ地下トンネル

    上の街最高部のスフィンクス門は、 翼ある神スフィンクス像で飾られた象徴的城門で、 真下に長さ70メートルの精密な切石造りイェルカプ地下トンネルが貫通する。 紀元前13世紀の高度な土木技術と祭祀建築が一体化した青銅器時代の傑作である。

    ヤーカプ盛土上のスフィンクス門全景、 午後の柔らかい光

  • 3.復元城壁と全長6キロの都市防御線

    ハットゥシャの城壁は内壁と外壁の二重構造で総厚8メートル、 6キロ超に及ぶ青銅器時代最大級の都市防御線。 2003年に伝統工法で日干し煉瓦製の城壁が65メートル分復元され、 紀元前13世紀の威容を体感できる稀有な遺跡となっている。

    復元区間の側面から城壁全景、 朝の順光で煉瓦の質感を強調

物語・伝説

紀元前17世紀、 ヒッタイト王ラバルナの後継者ハットゥシリ1世がネシャから遷都し、 自ら「ハットゥシャの男」を名乗ったことで都市は帝国首都となった。 シュッピルリウマ1世とムワタリ2世の時代に最盛期を迎え、 紀元前1274年カデシュの戦いではエジプトのラムセス2世と激突、 世界最古の国際平和条約を結んだ。 紀元前1200年頃の青銅器時代崩壊で大火災と共に放棄され、 1834年にフランス人考古学者シャルル・テキシエが発見、 1906年ドイツ隊が王立図書館の楔形文字粘土板3万点を発掘し、 失われた帝国の全貌が現代に蘇った。

こんな人におすすめ

ヒッタイト帝国と青銅器時代文明に魅了される古代史マニア、 トロイ・カッパドキアと組み合わせるトルコ古代史周遊旅行者、 楔形文字と未解読言語に関心ある言語学愛好家、 アナトリア高原の壮大な景観と城壁遺跡を撮影する写真愛好家。 アンカラから日帰り可能な距離。

現地で知るべき豆知識

  • 1.上の街と下の街を結ぶ全長5キロの観光ルートは徒歩2-3時間、 高低差200メートルあるためマイカーまたはタクシーで主要地点間移動が現実的、 1日借上タクシーは500-1000リラ程度で全11地点を効率周遊可能
  • 2.ハットゥシャから北東2キロのヤズルカヤ岩窟神殿はセット見学必須、 紀元前13世紀のヒッタイト万神殿の岩壁レリーフ (左右の神々の行列) が現存し、 共通チケットでアクセス可、 ハットゥシャ単体より深い理解が得られる
  • 3.ボアズカレ村内のチョルム県立博物館 (Boğazkale Müzesi) はハットゥシャ出土の楔形文字粘土板複製・スフィンクス本物・青銅製武器を展示、 遺跡見学前に立ち寄ると現地の彫像が王立図書館・神殿のどこに置かれていたか理解が深まる

訪問情報

アクセス
アンカラから車で東へ約3時間 (200キロ)、 公共バスはアンカラ - スングルル経由で乗継4時間。 ボアズカレ村内に簡素な民宿あり。
所要時間
遺跡本体で半日、 ヤズルカヤと博物館を含めて1日。
予算目安
入場料 60リラ (約300円、 ヤズルカヤ共通)、 アンカラ往復タクシー 2000-3000リラ、 ガイド付ツアー 1500-2500リラ。 (2024年時点)

周辺観光

車で5分のヤズルカヤ岩窟神殿 (ヒッタイト万神殿の岩壁レリーフ群)、 車で1時間のアラジャホユック遺跡 (ヒッタイト前期の重要拠点、 太陽の円盤出土)、 車で3時間のカッパドキア (奇岩地帯) との組合せで「ヒッタイト古代史とアナトリア絶景」周遊が定番である。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 紀元前6千年紀

    最古の集落

    銅石器時代の集落跡が形成、 ハットゥシャの地に最初の人類定住の証拠が残る転換点

  2. 紀元前3千年紀末

    ハッティ人定住

    ハッティ人がこの地に定住し「ハットゥシュ」と命名、 アナトリア独自文化の中心地となる

  3. 紀元前1700年頃

    アニッタの破壊

    クッシャラ王アニッタが都市を焼払い、 再建禁止の呪詛碑文を残したが後世の世代が再建する

  4. 紀元前1650年頃

    首都遷都

    ヒッタイト王ハットゥシリ1世がネシャから遷都し、 ヒッタイト古王国時代の首都となる

  5. 紀元前14世紀

    最盛期到来

    シュッピルリウマ1世時代に都市面積1.8平方キロまで拡張、 6キロの城壁と30の神殿が建造される

  6. 紀元前1274年

    カデシュの戦い

    ムワタリ2世がエジプトのラムセス2世とカデシュの戦いで激突、 古代史最大級の戦車戦となる

  7. 紀元前1259年

    銀板平和条約

    ハットゥシリ3世とラムセス2世が世界最古の国際平和条約を締結、 銀板写本がハットゥシャに保管

  8. 紀元前1200年頃

    都市崩壊

    青銅器時代崩壊で大火災と共に都市が放棄、 ヒッタイト国家自体も消滅し3000年間忘却される

  9. 1834年

    再発見

    フランス人考古学者シャルル・テキシエが遺跡を発見、 西欧古代史学が遺跡を世界に紹介する

  10. 1906-1907年

    粘土板発掘

    ドイツ東洋協会が大神殿跡から楔形文字粘土板3万点を発掘、 ヒッタイト語が印欧語族と判明

  11. 1986年

    世界文化遺産

    ユネスコ世界文化遺産に登録 (基準i, ii, iii, iv)、 国際的な保護対象となる転換点を迎える

  12. 2001年

    世界の記憶遺産

    ヒッタイト楔形文字粘土板群がユネスコ世界の記憶遺産にも登録、 二重指定の稀な遺跡となる

  13. 2003年

    城壁復元

    伝統工法で日干し煉瓦製の城壁が65メートル分復元、 紀元前13世紀の威容を体感可能となる

歴史をもっと深く

ハットゥシャの起源は紀元前6千年紀の銅石器時代の集落跡に遡り、 紀元前3千年紀末にハッティ人がこの地に定住して「ハットゥシュ」と呼んだ。 紀元前19-18世紀にはアッシュル (アッシリア) のカネシュ (キュルテペ) 商人がこの地に交易拠点を設け、 下の街の一角に独立した商業区を構えた。 紀元前1700年頃、 クッシャラ王アニッタが都市を焼払い、 後世の王に再建禁止の呪詛碑文を残したが、 後の世代によって都市は再建された。 紀元前1650年頃、 ヒッタイト王ラバルナの後継者がネシャから遷都し、 自ら「ハットゥシリ (ハットゥシャの男) 1世」と改名、 ヒッタイト古王国時代が始まった。 紀元前14-13世紀のシュッピルリウマ1世時代に最盛期を迎え、 都市面積1.8平方キロまで拡張、 内壁と外壁の二重構造6キロの城壁、 ライオン門・王門・スフィンクス門の三大門、 大神殿 (面積1平方キロ) と上の街の30以上の神殿群が建造され、 人口最大3万人を擁する青銅器時代最大級の都市となった。 紀元前1274年、 ムワタリ2世はエジプトのラムセス2世とカデシュの戦い (現シリア領) を戦い、 紀元前1259年にハットゥシリ3世とラムセス2世が世界最古の国際平和条約 (銀板条約) を締結、 銀板はハットゥシャ王立文書館に保管された (現在国連本部に複製展示)。 ムルシリ3世時代以降、 北方のカシュカ族の攻撃でサピヌワに一時遷都された後、 ハットゥシャに再遷都され紀元前13世紀まで首都が続いた。 紀元前1200年頃の「青銅器時代崩壊」で大火災と共に都市は放棄され、 ヒッタイト国家自体も消滅、 都市の運命は3000年間忘れ去られた。 1834年フランス人考古学者シャルル・テキシエが「ボアズキョイ」の名で遺跡を発見、 1882年ドイツ人技師カール・フマンが完全な遺跡平面図を作成、 1906-1907年フーゴー・ウィンクラー率いるドイツ東洋協会が大神殿跡から楔形文字粘土板3万点 (王立文書館蔵書) を発掘し、 ヒッタイト語が印欧語族と判明、 失われた帝国の全貌が現代に蘇った。 1986年ユネスコ世界文化遺産登録 (基準i, ii, iii, iv)、 2001年ヒッタイト楔形文字粘土板群がユネスコ世界の記憶遺産にも登録、 二重指定の極めて稀な遺跡となった。

文化的背景と意義

ハットゥシャは古代オリエント世界における青銅器時代後期の最重要遺跡で、 エジプト・ミタンニ・バビロニアと並ぶ四大帝国の一翼を担ったヒッタイト帝国の中心。 ユネスコ世界文化遺産登録基準は (1) 人類の創造的才能を表現する傑作、 (2) 建築・記念碑芸術・都市計画の発展への重要な影響、 (3) 消滅した文明の稀有な証拠、 (4) 人類史上重要な時代を例証する建築の優れた例 — の4基準で評価される。 1906年発掘の楔形文字粘土板3万点は世界最古級の文書館として2001年ユネスコ世界の記憶遺産にも登録、 国際法 (カデシュの平和条約) ・印欧語族言語学 (ヒッタイト語解読) ・国家行政の起源研究を一変させた。 ヒッタイト万神殿の特徴は「千の神々の国」と呼ばれる多神教で、 周辺諸民族 (フリ・ハッティ・ルウィ・カナーン) の神々を吸収統合した独自の宗教観を持ち、 紀元前1259年の銀板条約写しは現在ニューヨーク国連本部に展示され国際平和の原点とされる。 トルコ国民にとってハットゥシャはアナトリア多文化主義の根源として位置付けられ、 アタテュルク以降の共和国教育で重視されている。

建築的詳細

ハットゥシャ遺跡は面積1.8平方キロの計画都市で、 下の街 (低地、 0.8平方キロ) と上の街 (高地) の二層構造を持つ。 紀元前14世紀シュッピルリウマ1世が建造した城壁は内壁と外壁の二重構造 (各厚3メートル、 間隔2メートル、 総厚8メートル)、 全長6キロ超で青銅器時代最大級の防御線を形成する。 城壁は石灰岩の基礎の上に日干し煉瓦と木材で構築、 一定間隔で塔と凹凸を持つ。 城門は5つあり、 西のライオン門・南のスフィンクス門・東の王門が三大門で、 各々高さ2メートル超の彫刻が左右対面に配される。 スフィンクス門の真下を貫くイェルカプ地下トンネルは長さ70メートル・高さ3メートルの精密な切石造りで、 紀元前13世紀の高度な土木技術を示す。 上の街には30を超える神殿が立並び、 各々中庭を囲む列柱回廊様式 (porticoed courtyard) の構造を持つ。 下の街中央の大神殿は面積1平方キロで、 嵐神テシュブと太陽神アリンナのために建造、 周囲に倉庫・工房・楔形文字粘土板書庫が配される。 王の居城ビュユッカレ (大要塞) は北東の高地稜線上に築かれ、 行政官衙と王の居館を兼ねた。 居住建築は木材と日干し煉瓦造で消失したが、 神殿と宮殿の石造基礎は良好に保存される。

外部リンク

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