石見銀山
大田市 · JP
森と共生した世界遺産、 戦国期世界銀流通の3分の1を支えた日本最大の銀山遺構
島根県大田市大森にある石見銀山は、 1527年(大永6年)3月の本格再発見から1923年(大正12年)の休山まで約400年稼働し、 江戸初期には世界銀生産の約3分の1を担った日本最大の銀山。 2007年、 アジア初の鉱山遺跡として「環境と共生した銀生産」が評価されユネスコ世界文化遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑が銀山遊歩道を覆い、 大森の町並みと石畳が最も瑞々しく映える、 散策と撮影のベストタイミング
★★★★★
森に守られた坑道内は通年14度前後で天然の冷気、 ただし町並み散策は猛暑で体力消耗が大きい
★★★☆☆
銀山地区の広葉樹林が紅葉、 大森の町並みと黄葉のコントラストで観光客も増える秋の最盛期
★★★★★
観光客が激減し町歩きが静かで風情、 雪化粧の坑道入口は神秘的だが交通アクセスは注意
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.唯一一般公開の坑道、 龍源寺間歩
1715年(正徳5年)開発の幕府直営坑道で、 全長約600メートルのうち273メートルが見学可能。 ノミの跡が無数に刻まれた狭い坑内を進めば、 江戸期の銀掘り職人が手掘りで岩盤を貫いた痕跡を肌で感じ取れる、 銀山見学の核となる坑道。
坑口の鳥居型石組みを正面から、 坑内は手持ちで足元のレールと壁面のノミ跡を
2.重要伝統的建造物群、 大森の町並み
代官所跡から銀山地区までの約2.8キロに、 武家・商家・寺社が混在する江戸期の町並みが残る。 1987年に重要伝統的建造物群保存地区に選定、 現役の住居や商店として息づく町は鉱山町の生活感を今に伝える希有な現代の生活遺産でもある。
町並み中ほどの石畳と漆喰壁・格子戸が連なる区間を朝の斜光で
3.清水谷精錬所跡の石積み遺構
1894年(明治27年)に大阪の藤田組が建設した洋式精錬所の遺構で、 段状の石垣が森の中に階段状にそびえる。 採算が合わず1年半ほどで操業を終えた近代産業遺産は、 中世の手掘り坑道と並ぶ「もう一つの石見銀山」として再評価が進む隠れた名所。
新緑期の朝、 石段下から見上げて段状石垣と樹冠を一枚に収める
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.龍源寺間歩は世界遺産センターからの直接アクセスは禁止、 大森地区から徒歩約40分または有料ベロタクシー(片道500円)、 レンタサイクル(1日500円程度)が現実的、 駐車場は世界遺産センター(無料)に集約する設計のため車利用時は注意が必要
- 2.石見銀山世界遺産センターの常設展示は無料の予習に最適、 銀山地区へ向かう前に約60分の見学で江戸期の採掘・精錬・運搬の全体像を理解できる、 ジオラマや実物大坑道の再現展示は子供連れにも好評で必訪のオリエンテーション拠点
- 3.大森の町並み内には現代も人が暮らす家屋が多く、 写真撮影時の生活エリア立入や生活音への配慮を求める看板が随所にある、 観光地化されすぎていない希有な現代の生活遺産という性格を尊重する歩き方が地元との良好な関係を保つ鍵となる
訪問情報
- アクセス
- JR大田市駅から石見交通バス世界遺産センター行きで約30分、 「大森」または「世界遺産センター」下車。 出雲空港から車で約60分、 山陰自動車道出雲ICまたは仁摩・石見銀山ICが最寄。
- 所要時間
- 町並みと龍源寺間歩で半日、 清水谷精錬所跡や羅漢寺を含めると1日。
- 予算目安
- 龍源寺間歩 大人410円・小中学生200円。 世界遺産センター展示室 大人310円。 路線バス 大田市駅-世界遺産センター 片道690円。 (2024年時点)
周辺観光
車で約30分の温泉津(ゆのつ)温泉は世界遺産構成資産の積出港でもあり、 1300年の歴史を持つ薬師湯と元湯が現役で営業中。 出雲大社へは車で約75分、 出雲市駅から一畑電車でアクセスでき、 「神話の出雲と銀山の石見」を組合せる山陰旅程の定番ルートとなる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1526年
石見銀山の発見
大永6年、 博多商人の神屋寿禎が銀峰山で銀を発見、 大内義興の支援で本格的な採掘が始まり日本最大の銀山開発が幕を開ける
- 1533年
灰吹法の導入
天文2年、 神屋寿禎が博多から技術者を招き朝鮮半島由来の灰吹法を導入、 銀の精錬効率が飛躍的に向上する
- 1562年
毛利氏の完全掌握
永禄5年、 雲芸和議により毛利氏が大内・尼子との銀山争奪戦を制し、 山吹城を守護の拠点として支配を固める
- 1602年
釜屋間歩発見と産出ピーク
慶長7年、 山師安原伝兵衛が釜屋間歩を発見、 慶長年間に年38トン推定の銀を産出し世界の銀生産の3分の1を担う
- 1715年
龍源寺間歩の開削
正徳5年、 全長約600メートルの幕府直営坑である龍源寺間歩が開削、 現在唯一一般公開されている近世坑道となる
- 1731年
井戸平左衛門の救済
享保16年、 第19代代官井戸平左衛門が薩摩からサツマイモを導入し享保大飢饉の領民を救い「いも代官」として慕われる
- 1894年
清水谷精錬所の建設
明治27年、 大阪の藤田組が清水谷に洋式精錬所を建設するも銀価格暴落で1年半で閉鎖、 近代産業遺産となる
- 1923年
鉱山閉山
大正12年、 銅・鉛採掘の終了により約400年続いた鉱山経営が最終的に閉山となり鉱山活動の歴史が終わる
- 1969年
国の史跡指定
昭和44年、 日本を代表する鉱山遺跡として国の史跡に指定され、 文化財保護法体制下での法的保護が始まる
- 1987年
重伝建選定
昭和62年、 大森地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、 江戸期の鉱山町並みの保存が制度化される
- 2007年
世界文化遺産登録
平成19年7月2日、 第31回世界遺産委員会でアジア初の鉱山系ユネスコ世界文化遺産として登録される
歴史をもっと深く
石見銀山の歴史は1309年(延慶2年)、 周防の大内弘幸が北斗妙見の託宣により銀峰山(仙ノ山)で銀を発見したという『石見銀山旧記』の伝承に始まる。 本格的な開発は1527年(大永6年)3月、 博多商人の神屋寿禎が出雲沖を航行中に山が光るのを見て領主大内義興の支援と出雲田儀村の銅山主三島清右衛門の協力を得て山頂付近の露頭採掘を開始したのが起点となる。 1533年(天文2年)、 神屋寿禎は博多から技術者の宗丹と桂寿を招き海外渡来の灰吹法(鉛と銀の合金を加熱して鉛を蒸発させ純銀を得る精錬技術)を導入、 銀生産の効率が飛躍的に向上した。 1537年(天文6年)の尼子経久の侵攻以降、 大内・尼子・毛利の三氏による銀山争奪戦が30年近く続き、 1562年(永禄5年)の雲芸和議で毛利氏が銀山を完全掌握、 山吹城を守護の拠点とした。 1584年(天正12年)に毛利輝元が豊臣秀吉に服属すると銀山は秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられた。 1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦後、 徳川家康は大久保長安を初代銀山奉行に任じ、 周辺の郷村を石見銀山領(約5万石)として幕府直轄に編成した。 1602年(慶長7年)に山師の安原伝兵衛が釜屋間歩を発見、 慶長年間に銀産出はピークとなり、 一説には年間38トンと推定される産出量で世界の銀生産の3分の1を担った。 灰吹銀は地区の旧名「佐摩」に由来して「ソーマ銀」と呼ばれ、 石州丁銀として明・ポルトガル・オランダとの交易で広く流通した。 1675年(延宝3年)に銀山奉行は大森代官に格下げ、 18世紀の享保大飢饉では第19代代官井戸平左衛門が薩摩からサツマイモを導入して領民を救った「いも代官」として知られる。 1715年(正徳5年)に龍源寺間歩が幕府直営坑として開削、 全長約600メートルの近世坑道として現在も唯一一般公開されている。 1894年(明治27年)、 大阪の藤田組が清水谷に洋式精錬所を建設したが採算が合わず1年半で操業停止、 その後主に採掘されていた銅の価格暴落や坑内環境の悪化により1923年(大正12年)に休山するに至り、 太平洋戦争中に銅の再産出が試みられたが1943年(昭和18年)の水害で坑道が水没し完全閉山となった。 1969年(昭和44年)国の史跡指定、 1987年(昭和62年)に大森地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定、 2007年(平成19年)7月2日にニュージーランド・クライストチャーチの第31回世界遺産委員会でユネスコ世界文化遺産に登録された。
文化的背景と意義
石見銀山は2007年にアジア初の鉱山系ユネスコ世界文化遺産として登録され、 登録基準(ii)(東アジア銀交易と東西文化交流への貢献)・(iii)(伝統的銀生産技術の証拠)・(v)(自然と共生した銀生産景観)の3基準で評価された。 通常、 銀山開発は大量の薪炭用木材を必要として周辺森林を荒廃させるが、 石見銀山では「留山(とめやま)」「鞘山(さややま)」の制度的森林管理により広葉樹林が維持され、 環境への負荷の少ない持続的銀生産が400年にわたり実現された点が登録の決定打となった。 当初2006年の登録審査ではICOMOSが「顕著で普遍的価値を立証できない」として登録延期を勧告したが、 日本政府の追加調査資料により世界遺産委員会で逆転登録された経緯は世界遺産制度史でも稀な事例とされる。 銀山地区の「ソーマ銀」は16-17世紀のポルトラーノ地図に「銀王国」として記載され、 イエズス会報告書やオランダ東インド会社の記録にも頻出する、 大航海時代の東アジアと欧州を結ぶ重要な経済的結節点であった。 大森の町並みは2017年公開の映画「武曲」など映像作品のロケ地としても活用される。 2007年には地質百選にも選定、 1500年の発見伝承と500年の鉱山史を持ちながら現在も住民が暮らす「生きた世界遺産」として、 アンコール遺跡や万里の長城等の無人遺跡とは異なる希有な性格を持つ。
建築的詳細
石見銀山は700余りの坑道「間歩(まぶ)」群と銀山町・港湾町からなる広域複合遺構である。 主要坑道は釜屋・龍源寺・大久保・永久坑道の4本で、 1715年(正徳5年)開削の龍源寺間歩は全長約600mのうち273mが見学可能、 江戸期のノミ跡が壁面に残る幕府直営坑として唯一一般公開される。 大久保間歩は大久保長安が槍を携え馬で乗り入れたと伝わる大規模坑で、 明治期にドリルで拡幅された。 最深部は永久坑道の標高400m地点から200m掘り下げた点まで確認される。 銀山中心部には山吹城が築かれ、 1987年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された大森地区には代官所跡から約2.8kmにわたり武家・商家・寺社・灰吹銀掛屋の熊谷家住宅が並ぶ。 積出港の温泉津地区も2004年に同保存地区となり、 鞆ヶ浦・沖泊と合わせ「銀の港」を伝える。