タキシラ
ラーワルピンディー県 · PK
ガンダーラ仏教文化の心臓部、 千年都市の遺構が眠るアジア最古の学園都市
パキスタン・パンジャーブ州の交易路の十字路に1000年栄えたタキシラは、 アケメネス朝・マウリヤ朝・インド・グリーク朝・クシャーナ朝が次々と都とした古代南アジア最古の学園都市。 ダルマラージカー大ストゥーパとガンダーラ仏教美術の宝庫として1980年に世界遺産登録。
ベストシーズン・ベストタイム
気温20-28度・乾燥した快適な気候で、 ガンダーラ平原の散策に最適の絶好期
★★★★★
猛暑が引き朝晩は涼しい好機、 観光客が比較的少なく落ち着いて遺跡を巡れる
★★★★★
日中10-18度と冷涼で快適、 早朝は霧が立ち遺跡が幻想的に浮かぶ穴場の好期
★★★★☆
気温40度超の猛暑、 6-8月はモンスーンで遺跡探訪には不向き
★★☆☆☆
見どころ TOP 3
1.ダルマラージカー大ストゥーパの威容
アショーカ王が紀元前3世紀に建立した高さ15m・直径50mの大ストゥーパは、 パキスタン最古の仏教遺跡群の中心。 周囲に小ストゥーパ群と僧院が広がり、 ドーム上の7つの傘は仏教宇宙観を象徴する。 コリント式の柱もガンダーラ独自の美を語る。
南東側から朝の斜光でストゥーパ全景を縦構図で撮るのが定番
2.シルカップ双頭鷲ストゥーパの三文化融合
インド・グリーク朝の都として紀元前2世紀に建設された碁盤目状都市シルカップ。 中央通り沿いには双頭の鷲のレリーフを刻んだ小ストゥーパが残り、 インド・ギリシア・イランの3文化が融合した類例のないガンダーラ美術の象徴として知られる。
メインストリートから真横の角度でレリーフ面を斜光で捉える
3.ジョーリヤーン僧院遺跡と古代仏教大学
丘の上に立つジョーリヤーン(Jaulian)はクシャーナ朝2世紀の僧院遺跡。 メインストゥーパを取り囲む小ストゥーパ群と中庭式僧坊が良好に残り、 古代南アジア有数の仏教学府の風景を今に伝える。 グレコ・インド様式の瞑想仏坐像でも名高い。
丘上の僧院から谷を見下ろす広角ショットで一望感を出す
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.タキシラ博物館はマーシャル卿が発掘した出土品の宝庫であり、 遺跡探訪の前後に必ず訪れたい。 仏陀坐像やヘレニズム彫刻、 シルカップ出土の金細工など至宝級の展示が学術的価値を解説する
- 2.シルカップ・ダルマラージカー・ジョーリヤーンの3遺跡は車で巡るのが基本で、 イスラマバードからチャーターした車1日が現地ガイド付きで効率的。 公共交通機関は限定的で個別訪問は時間を浪費する
- 3.1日で全主要遺跡を巡る場合は朝7時頃にダルマラージカーから開始、 シルカップ・ジャンディヤール経由でジョーリヤーンを午後に巡る順路が日陰と気温の両面で最適となる
訪問情報
- アクセス
- 首都イスラマバードから車で約35km・所要50分。 ラーワルピンディーから北西へ車で約35分。 GTロード(グランドトランク・ロード)から少し外れた位置にある。
- 所要時間
- 主要3遺跡と博物館で半日、 全遺跡網羅なら丸1日が目安。
- 予算目安
- 遺跡入場料は外国人700ルピー前後・現地通貨で約400円(2024年時点目安)。 イスラマバードからのチャーター車1日約8000-12000円。
周辺観光
車30分の Khanpur Dam は緑豊かなダム湖、 周辺にはガンダーラ美術関連の遺跡が点在する。 1時間圏内にはイスラマバードの Faisal Mosque、 ラーワルピンディーの旧市街バザールも組合せ可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 前1000年頃
都市の誕生
古代ガンダーラ王国の首都として最古の集落が形成、 南アジア最古級の都市の一つとなる
- 前518年
アケメネス朝編入
ダレイオス1世の遠征によりタキシラはアケメネス朝ペルシア帝国の一州として組み込まれた
- 前326年
アレクサンドロス大王入城
アンビ王がアレクサンドロスに加勢して無血入城を実現、 ヒュダスペス河畔の戦いの拠点となる
- 前321年頃
マウリヤ朝支配開始
チャンドラグプタがマウリヤ朝を樹立し、 タキシラを北西インド支配の重要都市と位置づけた
- 前3世紀
アショーカ王の仏教中心地化
ダルマラージカー大ストゥーパが建立され、 タキシラはマウリヤ朝下で仏教の一大中心地となった
- 前185年
シルカップ建設
グレコ・バクトリア王デメトリオス1世が対岸にシルカップを築き、 インド・グリーク朝の都とした
- 前25年
インド・パルティア首都
ゴンドファルネスがタキシラを支配してインド・パルティア王国を建国、 首都として機能させた
- 76年
クシャーナ朝・ガンダーラ美術黄金期
クシャーナ朝の下で大僧院群が建設され、 ヘレニズム×仏教融合のガンダーラ美術が花開いた
- 5世紀
エフタル侵入
遊牧民エフタルの侵略で仏教寺院群が壊滅、 都市は急速に衰退し交易路としての地位を失う
- 712年
ウマイヤ朝の最終破壊
ウマイヤ朝のシンド侵攻により完全に放棄され、 タキシラは砂塵の中に1500年近く埋もれた
- 1872年
再発見
イギリス人考古学者アレクサンダー・カニンガムがタキシラ遺跡を再発見し近代考古学が始まる
- 1913-1934年
マーシャル大発掘
ジョン・マーシャル卿による20年の発掘でガンダーラ美術の傑作群が出土、 博物館が開館した
- 1980年
世界文化遺産登録
ユネスコによりタキシラ遺跡群は世界文化遺産として登録され、 国際的な保護対象となった
歴史をもっと深く
タキシラの歴史は紀元前1000年頃に始まったとされる古代ガンダーラ地方の中心都市で、 紀元前6-5世紀のヴェーダ期にはガンダーラ王国の首都として機能していた。 紀元前518年頃にアケメネス朝ペルシア帝国の一州となり、 ダレイオス1世の支配下で南アジア初の本格的都市文明圏に組み込まれた。 ただしアケメネス朝期の遺構は考古学的にほぼ未発見である。 紀元前326年、 アレクサンドロス大王がインダス川を渡り東征した際、 タキシラを支配していたアンビ王(古代ギリシア語: Taxiles)はアレクサンドロスに加勢し無血入城を実現させた。 ヒュダスペス河畔の戦いでポロス王を撃破した重要な拠点ともなった。 紀元前321年頃、 チャンドラグプタ・マウリヤがマウリヤ朝を樹立しタキシラを支配下に置き、 紀元前3世紀の孫アショーカ王の時代には仏教の中心地となった。 ダルマラージカー大ストゥーパはこのアショーカ王が建立し、 仏陀の聖遺物を分納したと伝わる。 紀元前185年マウリヤ朝の滅亡後、 グレコ・バクトリア王国のデメトリオス1世がタキシラの対岸に碁盤目状都市シルカップを建設、 インド・グリーク朝の都として繁栄を極めた。 紀元前90年スキタイ人がギリシャ系王朝を追放、 紀元前25年にはゴンドファルネスがインド・パルティア王国の首都とした。 76年に建国されたクシャーナ朝の下では、 ジョーリヤーンを含む大僧院群が建設され、 ヘレニズムと仏教美術が融合した「ガンダーラ美術」が黄金期を迎え、 仏陀像という人物表現の伝統が確立された。 西暦30年頃の大地震ではダルマラージカーが被災したが、 2世紀のカニシカ王代に大規模補修が行われた。 5世紀、 遊牧民エフタル(白匈奴)の侵入で仏教寺院群は壊滅的破壊を受け、 都市は衰退する。 712年のウマイヤ朝侵攻でとどめを刺され、 タキシラは1500年近く忘却の砂塵に埋もれた。 近代になって1872年、 イギリス人考古学者アレクサンダー・カニンガムが再発見、 1913年から1934年にかけてジョン・マーシャル卿が大規模発掘を行い、 大量の出土品がタキシラ博物館に収められた。 1980年にユネスコ世界文化遺産に登録され、 2010年にはGlobal Heritage Fundが「失われる危機」リスト12件に挙げたが、 その後パキスタン政府の保存事業で「良好に保存」と再評価されるまでに回復している。
文化的背景と意義
タキシラは古代南アジア最古の大学とされる学園都市として、 ヴェーダ哲学・医学・軍事・言語学などを学ぶ学生がインド全土から集まったと伝わる。 紀元前4世紀のアルタシャーストラの著者カウティリヤや、 文法学者パーニニ、 マウリヤ朝建国者チャンドラグプタもこの地で学んだとされる。 ただし「大学」の実体については近代的な意味での組織的教育機関ではなく、 著名教師の私塾が集積した知の集積地と理解する説が学術的に有力である。 タキシラを最も特徴づけるのは「ガンダーラ美術」の生誕地であることで、 アレクサンドロス東征以降にもたらされたヘレニズム美術と既存の仏教信仰が融合し、 写実的な人物像としての仏陀像という、 アジア美術史を決定的に変える表現様式が確立された。 ガンダーラの仏陀像は中国・朝鮮・日本の仏像表現の起源となり、 法隆寺の釈迦三尊像にまで遺伝子をつないでいる。 1980年のユネスコ世界文化遺産登録は、 単なる遺跡保護を超えて「仏教文明伝播のルーツ」としての国際的承認を意味し、 パキスタン政府は文化財として最重要扱いを続けてきた。 中国の玄奘三蔵が7世紀の『大唐西域記』に「タッカシラ」と記述したことからもアジアの仏教徒にとって聖地的位置づけがあり、 今も日本・韓国・タイ・スリランカからの仏教巡礼者が訪れる。
建築的詳細
タキシラ遺跡群は5世紀の破壊以前の建造形態を断面ごとに残し、 古代南アジアの都市と仏教建築の進化史を実物で辿れる稀有な遺跡である。 最古層のビール・マウンドはアケメネス朝~マウリヤ朝の不規則な都市形態で、 石灰岩を泥モルタルで積んだ平屋家屋群が混在する。 ダルマラージカー大ストゥーパはレンガ造の半球ドーム(直径50m・高さ15m)を石灰岩石材で覆い、 上部に「相輪」(7つの傘) を積み上げた構造を持ち、 周囲には祠堂と僧院群が同心円状に配置される。 仏像を収める基部支柱にはコリント様式の柱頭が用いられ、 ヘレニズム建築技法のアジア東漸を直に物語る。 シルカップは碁盤目状都市計画(ヒッポダモス式)を採用、 南北の中央通りに沿って家屋・寺院・ストゥーパが整然と並ぶ。 家屋は石灰岩レンガを積んで泥や壁土で塗装、 ギリシア式の中庭形式を持つものもある。 ジャンディヤール神殿は紀元前2世紀のグレコ・バクトリア建造で、 4本のイオニア式柱で正面ポーチを支える典型的ギリシア神殿様式を採り、 ゾロアスター教神殿とも推測される。 ジョーリヤーンの僧院は中庭を方形の僧坊群が囲む配置で、 メインストゥーパの周囲に小ストゥーパ群と仏龕が組み込まれ、 灰塗りスタッコによる仏像・仏伝図のレリーフが残る。