嘆きの壁

エルサレム · PS

二千年の祈りが石に刻まれた、ユダヤ教最高の聖地・第二神殿の西壁

エルサレム旧市街にそびえる嘆きの壁は、紀元前20年ヘロデ大王が築いた第二神殿の外壁うち地上に残る唯一の遺構。70年のローマ軍による神殿破壊から二千年、世界中のユダヤ人が祈りを捧げ続ける現代ユダヤ教最大の聖地である。

ベストシーズン・ベストタイム

3月-5月

気温20度前後で過ごしやすく、過越祭(ペサハ)の巡礼者で賑わう活気の最盛期

★★★★★

9月-11月

ロシュ・ハシャナ・ヨム・キプル・仮庵祭の3大祭で祈りが最も濃密になる聖なる時節

★★★★★

12月-2月

気温10度前後で観光客が少なめ、静かな祈りの雰囲気をじっくり味わえる季節

★★★☆☆

6月-8月

日中35度超で厳しい日差し、早朝か日没後の訪問が必須となる暑さの最盛期

★★☆☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.ヘロデ大王時代の巨石が物語る建設技術

    地上7段目までの巨石はヘロデ大王が紀元前20年頃に積み上げた当時のもの。エルサレム・ストーンの一種「メレケ」で1個2-8トン、最大では幅13メートル570トンの石も使用される。深さ1.5センチの平行な溝が今も鮮明に残る。

    広場北側から壁の下層と上層の継ぎ目を斜光で撮影

  • 2.祈り紙片を石の隙間に挟む二千年来の習慣

    壁面の石と石の隙間には世界中から訪れた人々が願いを書いた紙片(キトリック)が無数に挟まれる。年に2回の清掃時には数十万枚にも及ぶ紙片が回収され、ユダヤ教の儀礼に従い丁重に埋葬される。男女別の祈祷区域は柵で仕切られている。

    壁に近づき、石の隙間に挟まれた紙片を縦構図で接写

  • 3.夜のライトアップが照らす聖地の静謐

    日没後にはオレンジ色の灯火が壁面を照らし、昼の喧騒とは別世界の静謐な祈りの空間へ変わる。ライトアップされた巨石の質感が浮き彫りになり、二千年の歴史の重みを最も実感できる時間帯である。安息日入りの金曜日夕方は熱気の極致を迎える。

    広場南端から壁全景を夜景モードで、ライトアップ後30分以内

物語・伝説

紀元前20年、ヘロデ大王はソロモンの第一神殿跡地に第二神殿を完全改築に近い形で大拡張した。神殿の丘を支える西側土留壁が現在の嘆きの壁である。70年のユダヤ戦争でティトゥス率いるローマ軍がエルサレムを攻略し神殿を破壊、西壁のみが残された。以後ユダヤ人は離散の地から壁を巡礼の対象としたが、ローマ・ビザンツ・オスマン各時代に立入りは制限され続けた。1967年第三次中東戦争でイスラエルが旧市街を制圧、ユダヤ教徒は二千年ぶりに自由な礼拝を回復し、その瞬間の歓喜の場面は現代ユダヤ史の象徴となった。

こんな人におすすめ

三大一神教の歴史の交差点を体感したい歴史好き、ユダヤ教文化や聖地巡礼に関心がある巡礼者、二千年の建設技術と石組みに惹かれる建築愛好家、世界遺産の旧市街全体を歩きたい旅行者におすすめ。岩のドーム・聖墳墓教会と組合せ可能。

現地で知るべき豆知識

  • 1.服装規定が厳格で、男性は壁前で必ずキッパ(ユダヤ教の小帽)を着用する。入口で無料の紙製キッパが配布されるが、肩や膝が露出する服装での入場は不可なため、薄手の上着とロングパンツの準備が必須となる。
  • 2.金曜日日没から土曜日日没の安息日(シャバット)中は電子機器使用と写真撮影が禁止される。安息日入りの金曜夕方は信徒の歌と踊りで最も活気づく時間帯のため、撮影を控えた静観での参加が貴重な体験となる。
  • 3.壁の地下に掘られた西壁トンネルツアー(要予約・有料70シェケル前後)に参加すれば、地上に見えない壁全長488メートルの大半と幅13メートル570トンの巨石を間近で見学でき、本物の壁の規模感を理解できる。

訪問情報

アクセス
エルサレム旧市街の糞門(Dung Gate)から徒歩2分、ヤッフォ門から徒歩15分。テルアビブから直通バス405番で約1時間。空港から鉄道+ライトレールで約1時間半。
所要時間
見学のみで30分-1時間、西壁トンネルツアーや周辺の岩のドーム含めて半日が目安。
予算目安
壁の見学は無料、西壁トンネルツアー約70シェケル(約2500円)。旧市街全体観光で1日4000-6000円が目安。(2024年時点)

周辺観光

壁の真上の神殿の丘には岩のドーム(7世紀イスラム建築)とアル・アクサ・モスクが立つ。徒歩10分のキリスト教地区にはイエス処刑地伝承の聖墳墓教会、徒歩15分のシオン門外にはダビデの墓・最後の晩餐の部屋があり、三大一神教の聖地が密集する旧市街を1日で巡る黄金ルートが組める。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 紀元前20年頃

    ヘロデ大王による西壁建設

    ヘロデ大王が第二神殿の丘を人工的に大拡張、西側土留壁(現在の嘆きの壁)を含む外壁を完成

  2. 70年

    ローマ軍によるエルサレム陥落

    ユダヤ戦争でティトゥス率いるローマ軍がエルサレムを攻囲、神殿を破壊し西壁のみが残された

  3. 135年

    バル・コクバの乱鎮圧

    皇帝ハドリアヌスがユダヤ人のエルサレム立入りを禁止、町名をアエリア・カピトリーナに改名

  4. 638年

    ウマイヤ朝の支配開始

    イスラム勢力がエルサレムを支配下に置き、691年に岩のドームを神殿の丘上に建設した

  5. 1866年

    モンテフィオーレ卿の壁追加

    オスマン帝国時代、イギリス実業家モンテフィオーレ卿が礼拝者保護のため壁の14段を追加した

  6. 1917年

    英委任統治期の到来

    アレンビー将軍のエルサレム占領で英委任統治期に入り、「Wailing Wall」の英語名称が定着した

  7. 1929年

    嘆きの壁事件

    壁の所属を巡って大規模衝突が発生、ユダヤ人133人・アラブ人116人の死傷者を出した

  8. 1948-1967年

    ヨルダン支配下の立入り禁止

    第一次中東戦争でヨルダンが東エルサレムを占領、ユダヤ教徒は19年間壁での祈りを禁じられた

  9. 1967年6月

    第三次中東戦争での回復

    六日戦争でイスラエルが旧市街を制圧、二千年ぶりにユダヤ人の自由な礼拝が回復した

  10. 1981年

    世界遺産登録

    エルサレム旧市街全体がユネスコ世界文化遺産および危機遺産として登録された

  11. 2016年

    男女合同礼拝区域承認

    イスラエル政府が伝統的な男女別区域に加え、男女合同で礼拝可能な新区域の設置を承認した

歴史をもっと深く

嘆きの壁の歴史は紀元前20年頃ヘロデ大王の第二神殿大拡張に始まる。当時のエルサレム神殿の丘は本来自然の高台で、紀元前10世紀頃ソロモン王が第一神殿を建てた地である。紀元前586年バビロニアによる第一神殿破壊、紀元前516年ゼルバベルによる第二神殿建立を経て、ヘロデ大王が紀元前20年頃に神殿の丘を人工的に大拡張し、外壁全長488メートルの土留壁の西側部分が現在の嘆きの壁となった。70年のユダヤ戦争でティトゥス率いるローマ軍がエルサレムを攻囲・陥落させ神殿を完全に破壊したが、西壁のみが奇跡的に残された(エルサレム攻囲戦)。135年のバル・コクバの乱鎮圧後、ローマ皇帝ハドリアヌスはユダヤ人のエルサレム立入りを禁止し、エルサレムは「アエリア・カピトリーナ」と改名された。4世紀のミラノ勅令以降、年1日(神殿破壊記念日ティシャ・バアブ)のみ立入りが許可される時期が続いた。638年にウマイヤ朝がエルサレムを支配下に置き、691年に岩のドームを神殿の丘に建設、地上8-11段目の4段はウマイヤ朝時代の追加である。地上12-25段目はオスマン帝国時代の1866年にイギリスの実業家モーゼス・モンテフィオーレ卿が雨陽射し対策で追加した。1917年、第一次世界大戦のアレンビー将軍によるエルサレム占領で英委任統治期に入り、「Wailing Wall(嘆きの壁)」という英語名称はこの時期に定着した。1929年には壁の所属を巡って大規模な衝突が発生、133人のユダヤ人と116人のアラブ人が犠牲となった。1948年第一次中東戦争でヨルダンが東エルサレムを占領し、ユダヤ教徒は19年間壁での祈りを完全に禁じられた。1967年6月10日、第三次中東戦争(六日戦争)でイスラエルが旧市街を制圧、二千年ぶりにユダヤ人の自由な礼拝が回復した。直後にモロッコ人地区が取り壊され現在の広場が整備された。地上26-28段目の3段はムフティーによって1967年に追加されている。2016年1月にはイスラエル政府が男女合同の礼拝区域設置を承認した。

文化的背景と意義

嘆きの壁は現代ユダヤ教徒にとって世界最高の聖地である。神殿の丘自体への立入りはユダヤ教の宗教法上、至聖所(ホーリー・オブ・ホーリーズ)を不用意に踏まぬための慎重論が支配的で、最も近く祈れる場所として壁が聖性の中心となった。「コテル(壁)」「コーセル(西の壁)」とユダヤ人は呼び、世界中のシナゴーグは祈祷時にこの壁の方角を向く構造をとる。男女別の礼拝区域は正統派ユダヤ教の伝統に則ったもので、女性区域は男性区域より小さい構成となっている。バル・ミツワー(13歳の成人式)は世界中のユダヤ人少年がこの壁前で行う一生の通過儀礼で、年間数万件が実施される。岩のドーム(神殿の丘上の7世紀イスラム建築)と地続きという地理関係から、嘆きの壁は同時にイスラム教でもムハンマドが天馬ブラークを繋いだとされる「ブラーク壁」として聖性を持ち、政治的緊張の絶えない場所でもある。1981年にエルサレム旧市街全体がユネスコ世界文化遺産・危機遺産として登録され、嘆きの壁を含む歴史宗教遺産の保全が国際的課題となっている。「シェキナー(神の臨在)」が壁を離れずに留まり続けるというユダヤ教の伝承は、二千年に及ぶ離散の民を精神的に支え続けてきた根源的な信念である。

建築的詳細

嘆きの壁の全長は神殿の丘西側土留壁の総延長488メートルに及び、一般に「嘆きの壁」と呼ばれる礼拝広場前部分は幅約57メートル。広場側からの壁高は約19メートル、地下部分を含めると約32メートルに達し、積み石は地上28段・地下17段の計45段で構成される。地上1-7段目はヘロデ大王時代(紀元前20年頃)の原石で、エルサレム・ストーン中の「メレケ」と呼ばれる柔らかい石灰岩を使用、産地は旧市街ムスリム地区の「ゼデキアの洞窟」採石場または旧市街4キロ北のラマット・シュロモ町採石場と推定される。1個あたりの重量は2-8トン、特にウィルソン・アーチ内部の「西の巨石」は幅13メートル・推定重量570トンに達する古代世界最大級の建造石材である。各石には深さ1.5センチの溝が5-20センチ間隔で平行に刻まれ、ヘロデ式石材加工の特徴を示す。地上8-11段目の4段は7世紀ウマイヤ朝による追加で、相対的に中型の石材を使用。地上12-25段目の14段は1866年オスマン帝国時代のモンテフィオーレ卿による追加で、小型化が進む。地上26-28段目の3段は1967年ムフティーによる比較的新しい追加。礼拝広場以外で見える部分は南側約80メートルと「鉄の門」近くの小西壁のみ。地下には西壁トンネルが伸び、ウィルソン・アーチや中世の地下祈祷所が残る。

外部リンク

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