小笠原諸島
小笠原村 · JP
東洋のガラパゴス、 太平洋に浮かぶ世界自然遺産・固有種の宝庫 小笠原諸島
東京都心から南南東約1000キロ、 父島と母島の有人2島を中心に30余の島々が連なる小笠原諸島は、 形成以来一度も大陸とつながらなかった海洋性島弧。 独自進化を遂げた固有種の宝庫として2011年に世界自然遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
ザトウクジラのブリーチが頻繁に見られる繁殖回遊シーズン最終盤、 海況も安定し上陸ツアー再開期
★★★★★
ドルフィンスイムと透明度40m級のシュノーケリング最盛期、 一方で台風接近で欠航リスク有
★★★★☆
島ウミガメの産卵・孵化観察期、 海水温まだ高くマリンも快適だが台風の残り続く
★★★☆☆
ザトウクジラ来遊期到来、 ホエールウォッチング解禁で陸上展望台からの目視も可能
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.南島の扇池とラピエ地形
石灰岩がカルスト化して尖塔状に屹立する「ラピエ」と、 海食洞が天井崩落で生まれた天然のプール「扇池」。 上陸ガイド同行制で人数・滞在時間・経路が厳格管理された保全モデルの象徴的景観である。
扇池を見下ろす丘上展望ポイントで午前の順光を狙う
2.父島二見港と大神山からの俯瞰
父島の玄関口・二見港は東京竹芝桟橋から24時間の船旅の到着地。 港背後の大神山公園展望台に登ると湾を半円状に囲む集落と内海の青、 兄島・弟島まで一望でき、 島生活の規模感を肌で実感できる。
大神山展望台から南向きに港全景を構図中央へ
3.イルカと泳ぐドルフィンスイム
父島周辺海域に通年定住するミナミハンドウイルカやハシナガイルカの群れと、 認証ガイド同伴で海中で並泳できる体験。 「東洋のガラパゴス」と称される海洋生態系を能動的に味わえる、 小笠原ならではの代表アクティビティ。
ボート上から水面のイルカ背びれと島影をワイドで
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.父島の交通船「おがさわら丸」は東京竹芝発で片道24時間。 通常6日サイクル運航で滞在は最短2泊3日が基本。 父島宿の予約は出航日が決まり次第すぐに、 ピーク期は半年前から争奪戦になる点に注意。
- 2.南島と母島南崎は東京都認定の自然ガイド同伴必須エリア。 個人上陸は不可で、 上陸人数・経路・滞在時間が厳格管理される。 父島滞在中に現地ツアーをまとめて予約するのが効率的でげす。
- 3.ボニン英語と呼ばれる独自のクレオール言語の名残が父島の高齢者の会話に残る。 セイヴァリーやウェッブ等の欧米系姓の島民は1830年入植者の末裔で、 島内の墓地に往時の英語碑文が残る穴場文化遺産。
訪問情報
- アクセス
- 東京・竹芝桟橋から「おがさわら丸」(週1便程度)で父島・二見港まで約24時間。 空路は存在せず、 飛行場開設は環境保全との両立で長年議論中。 母島へは父島から「ははじま丸」で約2時間。
- 所要時間
- 船便都合で最短2泊3日、 標準は5泊6日
- 予算目安
- 船賃往復7-12万円(2等-特等)+宿1泊7000-15000円+ツアー1日8000-15000円が目安(2024年時点参考、 最新は公式サイトで確認)。
周辺観光
硫黄島(慰霊巡拝の特別便のみ訪問可)、 父島内の境浦海岸に沈むアメリカ船「濱江丸」、 三日月山展望台のサンセット、 小港海岸のウミガメ産卵、 母島・乳房山(島最高峰463m)登山等、 父島起点で組合せ可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1世紀頃
先史人類の痕跡
北硫黄島の石野遺跡や父島大根山遺跡から打製石斧等が出土、 ミクロネシア系の先史民の往来があったと推定される。
- 1543年
ヨーロッパ初発見
スペイン探検家ビリャロボス艦隊のサン・ファン号が母島を発見しフォルファナと命名。 ヨーロッパによる小笠原認識の起点となる。
- 1675年
幕府の探検と日本領主張
延宝3年に幕府探検船「富国寿丸」が父島に到達、 「此島大日本之内也」の標を立てるも鎖国下で実効支配せず。
- 1830年
欧米・太平洋諸島民が父島入植
セイヴァリーら白人5人と太平洋諸島出身25人がハワイから父島奥村に入植、 ボニンアイランダー文化の起点となる。
- 1853年
ペリー艦隊が二見港寄港
嘉永6年6月、 ペリーが日本本土寄港前に父島へ来航、 石炭補給地を購入しピール島植民地規約と自治政府を制定。
- 1875年
明治政府が領有確定
明治8年に内務省が小笠原を日本領と確定、 本格的日本人移住が始まる。 旧入植者は帰化して日本籍を取得。
- 1944年
島民強制疎開
戦況悪化で軍属を除く約6900人の島民が本土へ強制疎開。 翌1945年2月の硫黄島の戦いで約2万の日本兵が玉砕した。
- 1968年
アメリカから日本へ返還
小笠原返還協定発効で米国海軍統治が終わり日本へ復帰、 戦後23年ぶりに旧島民の本格帰島が始まる。
- 1972年
小笠原国立公園指定
10月16日に小笠原諸島の主要部が国立公園に指定、 海域含む自然保護の法的枠組が確立した。
- 2011年
世界自然遺産登録
6月24日に第35回世界遺産委員会で世界自然遺産登録が決定、 海洋性島弧の固有進化生態系として国際的評価が確立。
歴史をもっと深く
小笠原諸島は古第三紀に海底火山活動で形成された海洋性島弧で、 北硫黄島の石野遺跡から1世紀頃のミクロネシア系の先史人類の痕跡が出土している。 大航海時代の1543年(天文12年)、 スペインのビリャロボス艦隊サン・ファン号が母島を発見しフォルファナと命名。 寛永9年12月(1633年1月)に船頭勘左衛門ら7人を乗せた蜜柑船が遠州灘で遭難、 寛永10年2月20日(1633年3月29日)ごろ母島と思われる島に漂着した。 これを受け1675年(延宝3年)に幕府が探検船「富国寿丸」を派遣して父島に祠と「此島大日本之内也」の標を立てたが、 鎖国体制下で実効支配には至らなかった。 1727年にケンペル『日本誌』が西洋に島々を紹介、 1817年にアベル・レミューザが「無人島」を誤読して「Bo-Nin」と表記、 これが英名Bonin Islandsの起源となった。 1827年にイギリス海軍ブロッサム号のビーチー艦長が父島をピール島と命名し領有宣言、 1830年6月26日にナサニエル・セイヴァリーら欧米5人とハワイ・太平洋諸島出身25人が父島奥村に入植して常駐コミュニティが成立。 1853年(嘉永6年)6月、 ペリー艦隊が二見港に寄港し石炭補給地として土地を購入、 3条13項のピール島植民地規約を制定してセイヴァリーを初代首長とする自治政府を設置した。 1875年(明治8年)に明治政府が領有を確定し本格的日本人移住が始まる。 1944年(昭和19年)夏、 戦況悪化に伴い軍属を除く約6900人の島民全員が本土へ強制疎開、 硫黄島では1945年2月に日米最大規模の地上戦が展開され約2万人の日本兵が玉砕した。 戦後は米国海軍統治下に置かれ欧米系島民のみ帰島を許され、 1968年6月26日に小笠原返還協定発効で日本へ復帰。 1972年に小笠原国立公園指定、 2011年6月24日に第35回世界遺産委員会で世界自然遺産登録が決定し、 形成以来一度も大陸とつながらなかった海洋性島弧の固有進化生態系として国際的評価が確立した。
文化的背景と意義
小笠原諸島は日本で唯一、 生物地理区上「オセアニア区」に属する島嶼群で、 海洋プレートに乗ったまま大陸から隔絶し続けたため陸産貝類や維管束植物に固有種が極端に多く「東洋のガラパゴス」と呼ばれる。 オガサワラオオコウモリ、 ハハジマメグロ、 アカガシラカラスバト、 ムニンツツジ、 ムニンノボタン等が国内希少種に指定されるが、 ノヤギ・グリーンアノール等の外来種が固有種を脅かす保全課題も抱える。 文化面では1830年入植者末裔の欧米系島民、 戦前からの日本系島民、 戦後本土復帰後の新移住者が混在し、 ボニン英語と呼ばれる独自クレオールの名残や、 ペリー寄港時に植え付けたとされる作物起源、 ハワイ伝来の南洋踊り「南洋踊り」が文化財として継承される。 世界遺産登録区分は自然遺産(基準ix:進行中の生態学的・生物学的過程の代表例)で、 文化財としての国宝・重要文化財指定はないが、 国指定鳥獣保護区・国立公園・特別保護地区の三重指定で全域が法的に守られる。 NHKドキュメンタリー『小笠原はるかな島々』をはじめ自然番組の常連ロケ地でもある。
建築的詳細
小笠原諸島は、 太平洋プレートがフィリピン海プレートの東縁に沿って沈み込むことで誕生した海洋性島弧であり、 古第三紀から続く海底火山活動によって凝灰質砂岩・泥岩・石灰岩などの海底噴出物が積み重なって島嶼の基盤を形作っている。 南鳥島を除く全島が伊豆・小笠原・マリアナ島弧の一部をなし、 海洋地殻の上に直接形成されたという成り立ちが、 一度も大陸とつながらなかった生態系の孤立性を担保する。 諸島は北から聟島列島、 父島列島、 母島列島、 西之島、 火山列島(北硫黄島・硫黄島・南硫黄島)、 そして南鳥島・沖ノ鳥島の孤立島群へと連なる。 父島・母島の有人2島だけが居住区を持ち、 集落は父島の二見港や母島の沖村周辺に集中する。 法的保護の枠組みは三重構造で、 1972年10月16日の小笠原国立公園指定、 1980年3月31日の国指定鳥獣保護区(面積5899ha、 うち特別保護地区1331ha)、 そして2011年6月24日の世界自然遺産登録が重なる。 来訪者を受け入れる人工施設は、 父島二見港の船客ターミナルや大神山公園展望台などに限られ、 南島や母島南崎は東京都認定ガイド同伴必須エリアとして人数・経路・滞在時間が厳格に管理される。