王家の谷

ルクソール · EG

ファラオたちが眠る冥府の谷、 ツタンカーメンを甦らせた世界遺産の岩窟王墓群

エジプト・ルクソール対岸のナイル西岸、 テーベ・ネクロポリスの中心に広がる王家の谷。 新王国時代の約500年間に渡り、 ファラオと高位貴族の岩窟墓64基以上が穿たれた古代王朝最大の埋葬地で、 1922年にツタンカーメン王墓が未盗掘で発見され世界を驚愕させた。

ベストシーズン・ベストタイム

11月-2月

日中25度前後の理想気候、 観光最盛期で混雑するが朝一番なら主要墓も並ばず入場可能

★★★★★

3月-4月

気温30度未満で観光しやすい、 ハイシーズン後半は宿料金もやや下がる穴場の好機

★★★★☆

10月-11月初旬

夏場の酷暑が引き始める時期、 早朝なら30度未満で快適に主要墓を回れる

★★★★☆

5月-9月

日中45度超の酷暑、 墓内は地下で涼しいが屋外移動が厳しく早朝開場直後限定

★★☆☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.テーベ・ネクロポリス全景の威容

    ナイル西岸の石灰岩台地に三方を囲まれた孤絶の谷で、 山頂はピラミッドを思わせる三角形の自然峰アル・クルン。 64基以上の岩窟墓入口が斜面に散在し、 古代ファラオたちが冥府への門と崇めた地形そのものを体感できる。

    西方山道の高台から谷全体を俯瞰、 早朝の斜光が岩肌を染める時間帯が最適

  • 2.ツタンカーメン王墓 KV62 の埋葬室

    1922年ハワード・カーターが発見した唯一の未盗掘ファラオ墓。 内部のヒエログリフ壁画と石棺は当時のまま保存され、 黄金の死面が出土した「世紀の大発見」現場を直接見学できる。 別料金の追加チケット制で入場制限あり。

    埋葬室入口からの正面ショット、 三脚禁止のため広角レンズと高感度設定で

  • 3.セティ1世王墓 KV17 の壁画大伽藍

    全長137メートル・地下深部まで掘り下げられた谷最長の王墓で、 第19王朝セティ1世の墓。 1817年にベルツォーニが発見した精緻な天体図と「死者の書」場面の彩色レリーフは保存状態が秀逸で、 王家の谷美術の最高峰とされる。

    柱室と埋葬室の彩色天井を見上げる構図、 フラッシュ禁止のため三脚必須

物語・伝説

1922年11月4日、 英国人考古学者ハワード・カーターは資金提供者カーナヴォン卿の最後の支援を得て発掘最終年に挑んでいた。 階段を1段ずつ掘り進めた末、 ついに無傷の封印扉の前に立つ。 「何か見えますか?」と問うカーナヴォンに、 灯火越しに金色の輝きを覗き込んだカーターは「素晴らしいものが」と答えた。 KV62 で発見されたツタンカーメンの黄金死面と5000点超の副葬品は、 古代エジプト学を根底から書き換え、 同時に「ファラオの呪い」伝説も生んだ。 21世紀の今も、 発掘者が辿った階段をそのまま降りて埋葬室に立てる、 唯一無二の場所である。

こんな人におすすめ

古代エジプト学とツタンカーメン発掘史に憧れる歴史愛好家、 ヒエログリフ壁画と天体図に魅せられる美術愛好家、 ファラオの冥府信仰や来世観に関心のあるスピリチュアル系旅行者、 そしてナイル川クルーズと組合せたいラグジュアリー志向の旅人に最適。

現地で知るべき豆知識

  • 1.基本入場券で3基まで入墓可能だが、 ツタンカーメン墓・セティ1世墓・ラムセス6世墓は別料金の追加チケット制。 ツタンカーメン墓は混雑する午後より、 開場直後8時台が滞在時間を確保できる
  • 2.墓内は撮影料の別途購入が必要(写真パス)。 フラッシュ・三脚は全墓で禁止のため、 高感度ISO 3200以上対応のミラーレスか明るい単焦点広角レンズが現地で大いに重宝する
  • 3.西の谷(WV)はメインの東の谷から徒歩約20分離れた別エリアで、 アイ王墓 WV23 が一般公開されている。 観光客が極端に少なく、 静寂の中で壁画を楽しめる穴場として人気上昇中

訪問情報

アクセス
ルクソール市街からナイル川西岸へフェリーまたは橋経由で約15-30分。 西岸からタクシー・観光バスで約20分。 ハトシェプスト葬祭殿・メムノンの巨像と合わせた西岸ツアーが定番。
所要時間
主要3墓の見学で約2-3時間、 西の谷を含めると半日が目安
予算目安
入場料 基本券600エジプトポンド前後、 ツタンカーメン墓追加400EGP前後、 撮影パス300EGP前後 (2024年時点参考、 最新情報は公式サイトで確認)

周辺観光

ハトシェプスト葬祭殿(徒歩30分または車5分)は王家の谷と同じテーベ西岸の三大遺跡で必訪。 メムノンの巨像(車10分)はアメンヘテプ3世葬祭殿跡の双子像。 ナイル東岸に渡ればルクソール神殿・カルナック神殿の世界遺産群が車30分。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 前1539年頃

    トトメス1世が初の岩窟墓を造営

    第18王朝創始者トトメス1世が建築家イネニに命じ、 ピラミッドに替わる王墓として隔絶された谷に最初の岩窟墓を造営

  2. 前1290年頃

    セティ1世が KV17 を造営

    第19王朝のセティ1世が谷最長137メートルの王墓を建造、 天体図と精緻な彩色壁画で王家の谷美術の最高峰を示す

  3. 前1323年頃

    ツタンカーメンが埋葬

    第18王朝末期の若き王ツタンカーメンが急逝、 簡素な KV62 に黄金死面と5000点超の副葬品と共に埋葬される

  4. 前1070年頃

    王墓盗掘と新王国終焉

    第20王朝末期から第21王朝にかけて組織的な王墓盗掘が横行、 神官たちが王のミイラを救出しデイル・エル・バハリの隠し墓所に避難させる

  5. 1798-1801年

    ナポレオン遠征で再注目

    ナポレオンのエジプト遠征に随行した学者団が王家の谷を学術調査、 ヨーロッパに古代エジプト熱を巻き起こす

  6. 1817年

    ベルツォーニがセティ1世墓発見

    イタリア人冒険家ジョバンニ・ベルツォーニが KV17 セティ1世墓を発見、 雪花石膏の石棺は後にロンドンのサー・ジョン・ソーン美術館に収蔵された

  7. 1827年

    KV ナンバリング体系の確立

    英国人考古学者ジョン・ガードナー・ウィルキンソンが谷の入口から南へ順に発見墓を番号付け、 現在も使われる KV1-KV64 の体系を確立

  8. 1922年11月

    ツタンカーメン王墓 KV62 発見

    ハワード・カーターがカーナヴォン卿の支援で唯一の未盗掘ファラオ墓を発見、 黄金死面と5000点超の副葬品が20世紀最大の考古学発見となる

  9. 1979年

    ユネスコ世界文化遺産登録

    「古代テーベとそのネクロポリス」の構成資産として、 ハトシェプスト葬祭殿・カルナック神殿などと共に世界遺産に登録される

  10. 1994年

    フラッシュフラッド被害

    突発的な豪雨で谷が冠水、 複数の墓に泥水が流入し壁画を損傷。 以後大規模な排水路整備と保全工事が継続的に実施される

  11. 2005年

    新墓 KV63 発見

    1922年以来初の新墓 KV63 が発見される。 副葬品保管庫(エンバーミング・キャッシュ)と推定され、 国際的注目を集める

  12. 2011年

    KV64 確認

    地中レーダー探査で長年存在が推測されていた KV64 が正式に発掘・記載され、 第18王朝期の埋葬室と確認される

歴史をもっと深く

王家の谷の歴史は紀元前1539年頃、 第18王朝の創始者トトメス1世の岩窟墓建設に始まる。 それまでのエジプト王たちは古王国時代以来ピラミッドを王墓としてきたが、 盗掘被害が後を絶たず、 トトメス1世の建築家イネニは「私一人がこれを作り、 誰も見ず、 誰も聞かなかった」と碑文に記し、 墓所秘匿のため西方の隔絶された谷を選んだ。 以後ハトシェプスト女王・トトメス3世・アメンヘテプ2世らが続き、 第18王朝後半に岩窟墓建築技術が頂点を迎える。 第19王朝のセティ1世(在位前1290頃-前1279)は谷最長137メートルの王墓 KV17 を造営し、 天体図と「死者の書」壁画で王家の谷美術の最高峰を示した。 ラムセス2世(KV7)・ラムセス3世(KV11)・ラムセス6世(KV9)ら第20王朝の偉大なファラオたちもここに葬られたが、 第20王朝末期から第21王朝にかけて国家衰退と共に王墓盗掘が組織的に行われ、 ラムセス9世期のトリノ盗掘パピルスにその裁判記録が残る。 第21王朝の神官たちはミイラを救出してデイル・エル・バハリの隠し墓所と KV35 に再埋葬し、 王家の谷は1000年以上忘れ去られる。 古代末期にはコプト教の隠遁修道僧が一部の墓を礼拝堂に転用した。 18世紀末ナポレオンのエジプト遠征(1798-1801)で再注目され、 1816年イタリア人ベルツォーニがアイ王墓 WV23 を、 1817年にセティ1世墓 KV17 を発見、 1827年ジョン・ガードナー・ウィルキンソンが現在の KV ナンバリングを定めた。 19世紀末にはヴィクトール・ロレが16基の墓を新たに同定、 20世紀初頭には米国のセオドア・M・デイヴィスが発掘権を握り、 1912年「王家の谷は枯渇した」と宣言する。 だが1915年デイヴィスの死後カーナヴォン卿が許可を取得し、 ハワード・カーターを雇って探索を継続。 1922年11月4日、 カーターはついにツタンカーメン王墓 KV62 を未盗掘で発見し、 黄金死面と5000点超の副葬品が世界を驚愕させた。 1979年にテーベのネクロポリス全体がユネスコ世界文化遺産に登録され、 1994年のフラッシュフラッド被害を契機に大規模保全工事が継続中。 2005年に新墓 KV63 (王の副葬品保管庫)、 2011年に KV64 が確認され、 最新の地中レーダー探査で未発見墓の探索が続けられている。

文化的背景と意義

王家の谷は1979年に「古代テーベとそのネクロポリス」の構成資産として、 カルナック神殿・ルクソール神殿・ハトシェプスト葬祭殿などとともにユネスコ世界文化遺産に登録された。 谷を見守る三角形の自然峰アル・クルン(古代エジプト名「タ・デヘント」=「峰」の意)は、 ピラミッドを思わせる聖山として崇拝され、 蛇女神メレトセゲル(「沈黙を愛する者」)の住処とされた。 古代エジプトでは王の死は太陽神ラーの夜の旅と重ね合わされ、 岩窟墓の壁画は「死者の書」「アムドゥアトの書」「門の書」など来世への航行を導く呪文集の絵解きで埋め尽くされる。 「KV」は Kings' Valley の頭字語、 「WV」は West Valley の頭字語で、 1827年のウィルキンソン以来発見順に番号付けされる伝統的体系。 1922年のツタンカーメン墓発見は20世紀最大の考古学的発見とされ、 翌春のカーナヴォン卿急逝を契機に「ファラオの呪い」伝説が世界中に広まった。 同時にアール・デコ様式や「エジプト・リバイバル」と呼ばれる装飾意匠の世界的流行を生み、 アガサ・クリスティ『ナイルに死す』、 映画『ハムナプトラ』『インディ・ジョーンズ』など現代ポップカルチャーへの影響も計り知れない。 現在もエジプト考古最高評議会と国際的な発掘団が共同調査を継続し、 ネフェルティティ王妃墓など未発見王墓発見への期待が続く。

建築的詳細

岩窟墓は入口から下降通路・前室・柱室・埋葬室へ斜面を貫く「下降式」を共通形式とする。 第18王朝初期は通路が90度折れる「屈曲軸型」(KV34トトメス3世)で埋葬室はカルトゥーシュ型。 アマルナ期に直線化が進み、 セティ1世以降は「直軸型」(KV17、 KV11ラムセス3世、 KV9ラムセス6世)となる。 途中の「ウェル(竪坑)」は洪水防止と魂の試練を象徴。 壁画は宗教文書を体系的に展開し、 第18王朝期は太陽神ラーの夜の旅を描く「アムドゥアトの書」、 ホルエムヘブ以降は「門の書」、 第19王朝末からは「洞窟の書」(ラムセス6世墓に完全版)、 ラムセス3世墓では「大地の書」が登場。 セティ1世墓 KV17 以降は埋葬室天井に天体図「天空の書」とラーの連祷が形式化された。 谷は東谷と西谷に分かれ、 西谷(「猿の谷」)にはアメンヘテプ3世墓 WV22 とアイ王墓 WV23 がある。 岩盤はテーベ石灰岩に泥灰岩や膨張性頁岩が混在するため建造に苦労を伴い、 ラムセス3世はアメンメセス墓を掘り抜いて移設した経緯を持つ。 ピラミッドから岩窟墓への転換は墓所秘匿が目的だったがほぼ全墓が古代に盗掘され、 1922年カーターが KV62 を発見できたのは堆積した瓦礫に入口が偶然埋もれていたためだった。

外部リンク

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