チョルノービリ
ヴィーシュホロド地区 · UA
人類最悪の原発事故が時を止めた、ウクライナのダークツーリズム聖地
ウクライナ北部キーウ州ヴィーシュホロド地区の都市チョルノービリは、1986年4月26日の原発4号機爆発で時間が止まった「立入制限区域(ゾーン)」の入口。事故前10万人以上が暮らした街は、新シェルターと隣接プリピャチの観覧車とともに、世界唯一の核災害遺産として人類史を語る。
ベストシーズン・ベストタイム
事故月の追悼式典(4月26日)に合わせた厳粛な訪問、新緑のゾーンは野生動物の活動期
★★★★☆
日照時間が長く写真撮影に最適、ただし高温と虫対策必須で長袖長ズボン厳守
★★★★☆
紅葉のゾーン森林は被曝環境下の不思議な美しさ、観光客が減り静謐な体験
★★★★★
雪に覆われた廃墟は終末感が極大化、ただし日照短く防寒・滑落対策が必須
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.新シェルター(NSC)に覆われた原発4号機
事故炉を封じ込めた高さ108メートル・幅257メートルの巨大アーチ型新シェルターは2016年に滑走完成、2017年に正式稼働。旧石棺コンクリートを覆い、向こう100年間の放射能漏れを防ぐ人類の核遺産封印技術の到達点である。
観光ルートの展望台から正面に新シェルターを構図
2.隣接プリピャチの錆びた観覧車
原発から3キロのプリピャチは事故当時5万人が住んだ計画都市で、5月1日メーデーに合わせ開園予定だった遊園地の観覧車は一度も乗客を乗せずに錆び続けている。崩れたアパート群と並ぶ核災害の象徴的光景である。
観覧車を中央に据え、奥に廃墟アパートを背景に置く構図
3.森に屹立する巨大Duga(ドゥーガ)レーダー
高さ150メートル・幅約500メートルの巨大アンテナはソ連の秘密ミサイル早期警戒システム「Duga-3」の遺構。短波無線に混じる謎のノック音から「ロシアン・ウッドペッカー」と呼ばれた冷戦の遺物が森に屹立する。
森の中の遊歩道から見上げる広角構図、晴天日が映える
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.1日ツアーでも最終ゲートで全身放射線検出器(フレームモニター)の通過は必須で、検出されると衣類没収もあり得るため、使い捨て靴底や履き古した服装での参加を現地ガイドが強く推奨している
- 2.プリピャチ第3小学校の床に散乱するガスマスクは観光客が後年「映え演出」のため並べた可能性が指摘され、ガイドが「本当のリアルではない」と説明することも多い豆知識である
- 3.ゾーン内には「サマショリ」と呼ばれる100人前後の高齢自主帰還住民が今も暮らし、ツアーによっては彼らの一人を訪問しウクライナ家庭料理と自家製サモゴン酒を体験する選択がある
訪問情報
- アクセス
- 首都キーウから北約135キロ、車で約2時間。立入制限ゾーンへは事前許可必須で個人入場不可、認定ガイドツアー会社経由のみアクセス可能(2022年以降は要確認)。
- 所要時間
- 日帰り1日ツアーが標準、深部含むなら1泊2日。
- 予算目安
- 1日ツアー約100-150ドル、宿泊ツアー約250-400ドル(2021年実績)。2022年以降のロシア軍侵攻で運用状況流動的、最新は公式サイトで要確認。
周辺観光
ゾーン内にプリピャチ市(原発から3キロ、観覧車・市民会館・第3小学校)、Duga(ドゥーガ)レーダー基地(チェルノブイリ-2軍事都市跡)、隔離村コパチ(地中埋設廃墟)、原発冷却池の巨大ナマズ生息地などツアーで巡回。ゾーン外はキーウ市中心部まで車2時間。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1193年
都市初出
キエフ大公ロスチスラフ1世の家門に属する公子の狩猟用城館として証文に名が現れる、農村の起源
- 1972年
原発建設決定
ソ連政府がウクライナ初の商業用原発「チョルノービリ原発」の建設を決定、従業員都市プリピャチも新設へ
- 1977年
原発1号機稼働
RBMK-1000型1号機が稼働開始、以降1983年までに4基が順次完成しソ連最大級原発に
- 1986年4月26日
原発4号機爆発
出力低下試験中の暴走で水蒸気爆発、INESレベル7の人類史上最悪の原子力事故が発生
- 1986年4月27日
プリピャチ避難
事故36時間後に5万人がバス1100台で避難、住民は「数日で戻れる」と告げられ誰一人戻らなかった
- 1986年5月
ゾーン設定と石棺工事
半径30キロが立入制限区域に指定、 60万人のリクヴィダトールが投入され同年中に石棺で炉を封じた
- 1988年
チェルノブイリ地区廃止
汚染深刻のためチェルノブイリ地区が廃止され、イヴァーンキウ地区に編入される行政再編
- 1991年
ウクライナ独立
ソ連崩壊によりチョルノービリは独立ウクライナ領となり、原発廃炉と被害補償が国家事業に
- 2000年12月
全原発停止
残る3号機が運転停止しチョルノービリ原発は商業発電を完全終了、廃炉事業に専念
- 2011年
公式ツアー解禁
ウクライナ政府がゾーンの認定ガイドツアーを公式解禁、ダークツーリズム聖地として国際的注目
- 2016年11月
新シェルター滑走
高さ108メートル幅257メートルのアーチ型新シェルター(NSC)が事故炉上に滑走、2017年正式運用開始
- 2019年
HBOドラマ大ヒット
HBOドラマ「チェルノブイリ」が世界的ヒット、 訪問者が前年比約40%増の年間12万人超に急増
- 2022年2-4月
ロシア軍占領
ロシア軍が侵攻と同時にゾーンと原発を占領、放射線レベル一時上昇でツアーは長期中断状態に
歴史をもっと深く
チョルノービリの都市史は1193年(平安時代末)、キエフ大公ロスチスラフ1世の家門に属する公子の狩猟用城館として証文に初出し、当時は森林に囲まれた農村だった。13世紀のモンゴル襲来後はリトアニア大公国の領地となり城が築かれ、その後ポーランド、18世紀末からロシアの支配下に入った。多民族多宗教の街でユダヤ人コミュニティが大きく、18世紀半ばからハシディズム(敬虔主義ユダヤ教)の中心地ともなったが、1905年と1918年のポグロムで虐殺され、1941-1944年のナチス占領下でホロコーストにより完全に消滅した。1972年(昭和47年)、ソ連政府はチョルノービリ近郊にウクライナ初の商業用原発「チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所」の建設を決定し、北15キロに従業員都市プリピャチを新設した。原発は1977年(昭和52年)から順次稼働し1983年に4号機が完成。1986年4月26日(昭和61年)未明、4号機で計画された出力低下試験中に制御不能な出力暴走が発生、水蒸気爆発で炉心が破壊され大量の放射性物質が大気中に放出された。これは国際原子力事象評価尺度(INES)レベル7、人類史上最悪の原子力事故である。事故36時間後の4月27日昼にプリピャチ住民5万人がバスで避難、5月5日にはチョルノービリ市の住民10万人以上を含む周辺住民計約11万6千人が「立入制限区域(ゾーン、半径30キロ)」から強制退去させられた。1988年にはチェルノブイリ地区が廃止されイヴァーンキウ地区に編入、2020年の行政区画再編で現在のヴィーシュホロド地区所属となった。事故炉は1986年中にコンクリート製石棺で覆われたが老朽化が進み、欧州復興開発銀行主導の国際協力で2016年に新シェルター(NSC、新安全閉じ込め設備)が稼働炉上に滑走、2017年正式運用開始した。1991年のソ連崩壊以降は独立ウクライナの管轄下にあり、2022年2月24日のロシア侵攻ではロシア軍が発電所と立入制限ゾーンを4月初旬まで占領、放射線レベルの一時上昇が国際的懸念を呼んだ。
文化的背景と意義
チョルノービリ原発事故は冷戦末期のソ連体制崩壊を加速させた歴史的転換点として位置付けられている。ミハイル・ゴルバチョフは後年「チョルノービリがソ連崩壊の真の原因かもしれない」と述懐し、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)の必然性を国際社会に印象付けた。事故処理にあたった「リクヴィダトール(後始末人)」と呼ばれる軍人・消防士・技術者60万人と、避難住民・周辺農民の数百万人が放射線健康被害を被ったとされ、甲状腺がんの増加は世界保健機関(WHO)も認めている。2011年に立入制限ゾーンの一部が公式ツアー解禁されると「ダークツーリズム」の世界的代表格となり、年間6万人(2018年)以上が訪問。ゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」シリーズ(2007-)とHBOドラマ「チェルノブイリ」(2019)が世界的ヒットを記録し、訪問者が更に倍増した。事故から30年以上経た立入制限区域は予期せぬ生態学的実験場ともなり、人間の不在によりオオカミ・イノシシ・コウノトリなど野生動物が急増し「アクシデンタル・ワイルドネス」と呼ばれる逆説的な自然回復が研究対象となっている。表記は2022年3月、日本外務省がロシア語由来「チェルノブイリ」からウクライナ語由来「チョルノービリ」に変更した。
建築的詳細
チョルノービリ原発はRBMK-1000型黒鉛減速沸騰軽水冷却圧力管型原子炉4基で構成され、各炉は熱出力3200MW・電気出力1000MW、世界最大級だった。事故炉である4号機は1986年事故後、わずか206日の急造工事で「石棺(サルコファガス)」と呼ばれる鉄筋コンクリート構造物で覆われたが、亀裂と腐食が進行し放射性ダストの漏出が懸念された。新シェルター(NSC、New Safe Confinement)はフランスの建設コンソーシアム主導で2010年起工、高さ108メートル・幅257メートル・全長162メートル・重量36000トンの可動式鋼鉄アーチ構造で、隣接組立場で建設した本体を360メートルの距離をスライドさせて事故炉上に滑走させた人類史上最大の可動構造物である。設計寿命100年で放射性ダストの大気漏出を防ぎ、内部の遠隔操作ロボットで石棺の段階的解体が可能。プリピャチ市は1970年(昭和45年)に「ソ連型計画都市」のモデルとして設計され、5階建てフルシチョフカ住宅と16階建てモダニズム高層住宅を含む整然とした碁盤の目状の都市配置、住宅・学校・病院・文化宮殿・遊園地が放射状に配置されたソ連社会主義建築の集大成である。